diary

興味のあることについて書いていきます

素敵だなと思う人は

いい香りがする気がします(笑)

さて、私が素敵だと思った人は
今日こんな事を仰っていました。



“何事もきちんとしている人が素晴らしい人なのですよ”



“きちんと”
これは、私が長年悩まされ続けた言葉です。
“きちんと”した人になろう、なりたいとずっと思ってきました。
しかし、自分のルーズな側面や、欲望にすぐ負けてしまう弱い心によって、“きちんと”することができないのです。誠実さや我慢が足りないと言ってもいいかもしれません。


“何事もきちんとしている”
最もだと思う反面、なんて難しいことだろうとも思います。私はこの言葉に息苦しく窮屈な気持ちと罪悪感を持っていました。



ところで、この素敵な人が仰った“何事もきちんとしている人”は、ある分野のトップクラスの人たちの事なのですが、彼らはいつもスマイルを持ち、人の悪口は言わない、身だしなみは清潔で、マイナスなことは口に出さない…のだそうです。






私にとっての“きちんとしている”という言葉のイメージは、例えば…時間を守るとか、自分の責任をしっかり果たすという事です。もっと抽象的にイメージを表すと、箱の中身の粒がそろっていること・列を乱していないこと、ですね。


けれども、この素敵な人の仰った“きちんとしている”は如何に人として美しくあるか、自由でいるかという話です。
結果的に同じ事だと思う人もいるかもしれませんが、イメージはかなり違うのです。
何かをしようというときに、どのようなイメージを持っているかが実はかなり重要なことで、それによってその事が出来るか出来ないか、上手くいくかそうでないかが決まってくるのです。



几帳面に一枚一枚丁寧に張られたタイルのモザイクアートも、晴れた日の碧い海もどちらも素晴らしく感動的なものでしょう。

けれど、どのように美しくありたいか?と問われたときに、私は晴れた日の碧い海をイメージする方がわくわくするし、そしてより強くイメージに突き動かされて何かに向かっていくことが出来るように感じます。
おそらく逆の人もいるでしょう。


つまり、自分がある物事に対して感じているイメージは、自分がその事を達成するために必要なイメージと必ずしもイコールではないということです。


私は1つの物事に関してついついイメージを固定しがちなのですが、結果その事が自分を苦しめているのかもしれません。


色々なイメージの引き出しをたくさん作って豊かでいるということが大事なのかもと思った今日この頃。


なんだか小難しく抽象的な話になりました(笑)
次はもっとライトな話にしようと思います



Umi